紅花のお話

「紅花」の名前

紅花は973年の中国の書『開宝本草』に「紅藍花」として痕血(血液の滞り)を治し,血の道障害に適用し,婦人病薬として使用する旨が記載されています。

1596年の『本草綱目』李時珍には、漢名は「紅藍花」『釈名』では「紅花」「黄藍」その花は紅色、葉は藍に似ているので名に藍がある。と書かれています。薬物書『経史証類備急本草』(1061年)唐慎微では「紅藍花」産業技術書『天工開物』(1637年)宋應星には「紅花」紅花餅の造方法も記されています。

日本での呉藍→クレノアイ→紅藍→紅花と名称の移変りを説明する文献は『本草和名』『和名類聚抄』『和漢三才図絵』を引用して論ずる場合が多く見られます。

『本草和名』は醍醐天皇に仕えた侍医•深根輔仁が延喜年間(901–923)に編纂した薬物辞典です。長く不明になっていた上下2巻全18編の写本が発見され、寛政3年(1796)に校訂を行って刊行されました。下巻の第20巻有名無用193種に「紅藍花」久礼乃阿為と記されています。

『和名類聚抄』は平安時代の承平年間(931–938)に源順が編纂した辞書です。私が確認できたものは那波道円校注の元和3年(1617)刊の元和古活字本です。第184染色具の中に「紅藍」はあり『辨色立成』では久礼乃阿井「呉藍」と同じ。と記され「紅花」俗用之。とも記されています。辨色立成は現在存在していなくて、和名類聚抄の中にしか書物の名は見つけられないようです。中国の書といわれていたこともあったようですが、中国でも文献は見つかっていません。

『和漢三才図絵』は正徳2年(1712)に寺島良安によって編纂された類書(百科事典)です。「紅花」紅藍花 黄藍 俗云 久礼奈伊 呉藍クレノアイ、「藍」の解説と同じく中国の『本草綱目』を参考に挿絵を入れて説明をしていますが、ここでは『釈名』の説明は記されていません。文政7年(1824)の秋田屋発刊で確認していますが薬効としての説明より、国内での栽培産地や染色の仕方などの記載がされ、口紅のことも記されています。