紅花音羽屋の前身である「音羽屋」は1745年に創業され、江戸時代、地区の紅花を取りまとめていたという文書が残っています。しかし明治以降、化学染料が主流になると紅花は衰退し、その後の戦争による贅沢禁止令で紅花は消滅し、種を見てもわかる人がいない状態になりました。

 

ところが、昭和20年代に偶然に農家の納屋から昔の種がみつかり、それが発芽したことから、知識人が集まり紅花を栽培することとなりました。音羽屋の先代も、このとき種を譲り受け、栽培をして花を咲かせることに成功をしましたが活用がわからずに、栽培を断念。

紅花と離れ、年月が流れました。

 

●先祖の悲願の紅花生産

 

平成に入り、白鷹町でも紅花栽培が始まりました。

活用がわからずに断念した後悔から音羽屋も栽培を開始。

紅花は病気になりやすく天候に左右されやすい繊細な花です。数多の失敗を繰り返し、やっと栽培に成功しても畑が最上川の側なので水没してしまった年もありました。

10年の歳月をかけ紅花栽培とベニモチ作成を成功させ、出荷できるようになりました。

​紅花音羽屋のお話

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